”わからない”がとにかく大切
介護の現場に立っていると、認知症を患った方の中で、楽そうに生きている方とそうでない方に分けられるようにおもいます。
結論から申し上げると、大切なのは認知症であることを”認められているかどうか”ということです。
この記事では、認知症の方々を見て私が感じた老後を楽に生きる足掛かりを書いています。
わからないことをわからないと言えるか
私がかかわってきた中で一番楽そうに生きていた認知症患者の方の口癖は「わからない」でした。
雰囲気からフワフワとしていたその方は「朝、私はどうやってここにきたの?」「ご飯はもう食べたのかしら?」などと、よく質問をしてきました。
私がその質問に答えると「そうなのね、最近分からなくなっちゃうから」と控えめに笑っていました。
このようにわからないと言える認知症の方は少ないです。多くが嘘や話を急に変えることで誤魔化そうとします。
〈嘘という書き方をしましたが、悪意のあるものとそうでないものがあります。 認知症の症状の中に『作話』というものがあり、これは記憶が欠損した部分を自分の都合のいいように埋め合わせてストーリーを作り上げることを言います。 この『作話』は本人にとっては本当にあった出来事なので『悪意のない嘘』です。悪意からつこうとしたものとは別です。〉
故意的に嘘をついている場合と、瞬時に『作話』が行われて話をしている場合を判断するのは難しいですが、いずれにしてもこういうことを多くしている認知症患者というのは、苦しそうに生きていることが多いように思います。
ハッキリ言って認知症を患ってしまった方のこういった性格を変えていくというのは不可能に近いです。
なぜなら、「落ち着くためにはこうしたら良い」とか、「そんな当たり方では嫌われてしまうよ」と、伝えてその場で納得をしてもすぐに忘れてしまうからです。
すでに認知症になってしまった方には、こちらのアプローチを工夫していくしかありませんが、認知症でも楽に生きる方法であったり考え方を一般に周知することで今後、苦しい老後を過ごす方を減らせるのではないかと思います。
また、苦しそうに生きている認知症の方のご家族は傷つき疲弊してしまっているケースが多く見受けられます。
大切なご家族を傷つけたいと思う方はいらっしゃらないと思うので、事前に認知症について学び、認知症患者の「わからない」は恥ずかしいことではなく、当たり前であるということを心の片隅に置いておいていただけたらと思います。それが介護の現場に立つ私が考える楽な老後の足掛かりです。
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